2011/09/19

Ercolano (エルコラーノ) 遺跡 2

前回に引き続きエルコラーノ話。

casa del salone nero 黒いサロンの家。中庭が豪華です。


部屋が沢山ある大きな家だったみたいです。

それぞれの部屋には壁画があります。建物の絵が描かれていますが、この頃にはもう遠近法が使われていたんですね。

この家がなぜ『黒いサロンの家』と呼ばれるようになったのかは、この壁の装飾にあります。
サロンの中が黒い色で装飾されています。黒い部屋ってシックな感じですね。

ここからまた違うエリアです。
ブロンズ製の噴水。エルコラーノではブロンズ製のオブジェがたくさん発見されています。ブロンズは石像に比べたら壊れづらいでしょうから、このようにそのまま残ってるんでしょうね。
この区域は全体が競技場だったらしく、このブロンズの噴水があるこの場所は勝利者を表彰したり、競技者達が食事をしたり、また神に祈りを捧げる場所でもあったそうです。

casa di Nettuno e Anfitrite ネプチューンとアンピトリティスの家。
家の中の噴水跡。
顔の彫刻とか小細工がきいてますね。

狩りの様子が描かれています。

そしてその横にあるのがこれ。
家の名前の由来となった、ネプチューンとアンピトリティスの2人の神の、練りガラスのモザイク。
絵とは違い色が薄れる事はないので、未だに綺麗な色をしています。しかもとても細かいです。

そしてこの建物。皇帝に関する行事や祭典が行われていました。


中央にある場所の両壁に描かれている第四様式のフレスコ画。
第四様式のフレスコ画というのはポンペイで大地震が起きた62年以後の様式でヴェスビオ火山が噴火した79年まで続きます。第三様式よりも装飾性が強まり、建築要素が多く描かれています。繊細で濃い色が特徴的です。

casa del Bel Cortile ベル・コルティーレの家。
二階に続く階段もあります。

入り口を入ったらすぐ部屋。

部屋をエントランスに使ってたらしいです。それが、この時代ではめずらしい設計だったとのこと。

そしてここで発見された人骨。
ポンペイの場合は石膏復元した遺体の人型がありましたがここでは人骨でした。
エルコラーノは一気に高温の溶岩に飲み込まれたので一瞬で人は溶け、骨のみが残ったという事です。

casa dei cervi 鹿の家。
エルコラーノの街の中でおそらく一番立派な豪邸だと思われます。
海に面していて眺めもよし (現在は海は見えません。) さすが貴族の家です。
この写真に写っている猟犬に追われる鹿の彫像が発掘された事で、この家は鹿の家と言われるようになりました。

さきほどの写真の反対側。テラスです。ここから海が見えた訳ですね。

家の中も広すぎて迷います。
貴族の家だけあって内装は豪華です。

こちらの豪邸にも黒い部屋がありました。

床のモザイクもおしゃれ。

さきほどの豪邸をでて海に続く道を下って行きます。

先ほどの豪邸の一段したといえば良いでしょうか。海に向かって段々畑のような感じで作られています。
ここには立派な像がたっています。
ここからも絶景だったはず。今は地層しかみえません。

下から先ほどの豪邸が見えます。

この銅像は体半分しか見つからなかったみたいですね。

先ほどの銅像が小さくみえますがこれが海だった場所。
洞窟のような空間がたくさん見えますがこれは港の倉庫や、船の収容所として使われていました。
ここでは300体に及ぶ人骨が発見されており、噴火当時がどんな様子だったのかを表しています。
当時、噴火から逃げようとした人々は海岸にたどり着き、この建物の屋内に避難しようとしましたが、結局は溶岩や火山灰の下敷きになりました。
この噴火によってヴェスビオ火山一帯の海岸は沈下して古代ローマ時代の海岸線は現在よりも4m下にあったわけです。

このヴェスビオ火山周辺のエリアは昔は所謂、高級住宅街だったわけです。
温暖な気候、肥沃な土地、素晴らしい風景を持っている事から『locus amoenus』美しい土地として知られていたそうです。

今もヴェスビオ火山の周りにはたくさんの人が住んでいます。
こんなにも良い環境であれば暮らしたくなるのも当然の事ですよね。
ですが、ヴェスビオ火山は活火山で定期的に噴火を繰り返している為、火山の観測は常に続けられ次の噴火の予測もたてられています。日本の地震予測みたいなものですね。

そんな危険を知りながら今もこの周辺にはどんどん住民が増えています。
イタリア人に、なぜ危険と知りながら住むのか聞いてみました。
いつ来るかわからない噴火の事を考えるよりも、環境のいい土地で美味しい物を食べ、おいしいワインを飲み、毎日楽しく暮らす事を考えた方が良いだろ、との事。
イタリア人の生き方そのものですよね。

そんな生き方をうらやましく思いながら帰途につきました。

ちなみに、その夜の晩ご飯は海の物尽くしでした。
めっちゃ沢山のムール貝とあさり!

もちろんスパゲッティ!

大きい魚とエビ!

食べきれないほどいただきました。
やっぱり南イタリアに来ると魚料理はおいしいな〜と。

そして恒例の花火で夜はふけていくのでした。(この辺の地域は夏はほぼ毎日のように花火があがってる。。。。なんで。。。?)

←人気ブログランキング参加中。応援お願いします。

2011/09/14

Ercolano (エルコラーノ) 遺跡

9月になりましたが相変わらず暑いイタリアです。

今回はボローニャに帰ってすぐ南イタリアに10日ほど行ってました。
毎年夏には行っていますが、今年で3回目となるナポリ近郊の街 Gragnano(グラニャーノ)。
ここは観光地と言われる場所に近いので色んな所にいけちゃいます。

さて今回は念願のエルコラーノ遺跡 (ヘルクラネウムとも呼ぶ。) を見てきました。
エルコラーノについてですが私自身イタリアに来るまでその存在は知りませんでした。
ただ2年前ポンペイ遺跡を訪れた時に初めてエルコラーノの存在を知り、いつかは行ってみたいと思っていました。

大きな地図で見る

エルコラーノにはヴェスビオ周遊鉄道で向かいました。
Via NOCERAから乗りました。

あれ~以前乗った時は相当汚い電車だったのにめっちゃ新しくなってる。この路線はポンペイ駅にも止まるので観光客がいっぱいです。

ERCOLANO駅です。小さな街の印象です。

駅から海方面に向かって約10分くらい歩くと入り口に到着です。

入り口付近からの全景。下を見下ろす感じです。

噴火当時は、6mほどの火山礫、軽石、灰の層の下に埋もれ、さらにその上に砕屑が降り積もり、最終的に約20mほどの高さで固まったそうです。そして灰と水が混ざり石のように固まって凝灰岩となり、すべてが密閉された状態になった為に、破損が最小限に押さえられたそうです。
ですのでエルコラーノはポンペイに比べ非常に保存状態が良く発見されています。

発掘作業は本当に大変でしょうけどね。

ヴェスビオ火山からエルコラーノまで大体7kmの位置だそうで、こうやって火山を背にしてみてみると距離感がわかりやすいです。
エルコラーノは79年8月24日の噴火で埋もれた街です。

ポンペイに行ったときは観光客が多くて日本人のツアーの人達ともすれ違いましたが、ここは人も少なく、日本の方も見かけませんでした。
エルコラーノは掘り出されてるエリアが小さいので歩きやすいです。

蜂の巣みたいなレンガの組み方ですよね。

路地。

塀の上に見えてる家々は現在の家。遺跡は普通の住宅街の真ん中にあります。

casa dello scheletroにあるモザイク装飾のある祭壇。

casa a graticcio 格子垣の家です。レンガの柱で支えられたバルコニーが特徴的です。骨組みが木で、その中は石を積み重ねています。この家は民衆の為に安い建築費用で建てられてる為、骨組みが木になっているわけです。

casa del tramezzo di legno 板仕切りの家は、良い状態で保管されていた住宅です。legnoというのはイタリア語で木と言う意味なのですが、木製の仕切りが残っていたことに由来してるそうです。


噴水でもでていたのでしょうか。

さきほど説明してた板の仕切りがこれです。炭化した木の扉の保存をする為にプラスチックの板で囲まれています。写真は反射しているのでわかりづらいですが、こんな物が残っていたなんて凄いですね。
エルコラーノは一気に高温の溶岩に埋もれたので木も燃えずに炭になっちゃうんですね。

壁の壁画。

casa dell'atrio a mosaico mosaicoとはモザイクの意味で白と黒の幾何学模様が表されたモザイク装飾が施された床に由来してつけられています。
凄くきれいです。

温泉浴場です。
火山が近いだけあって温泉は昔からあったんですね。
温泉は女性用、男性用とわかれています。

女性用の脱衣所と、お風呂を結ぶ通路のモザイクの床。

女性用の脱衣所です。壁に付いてる棚に衣服を置きます。

トリトンにキューピッド、海の生き物がモザイクで表されてます。

ちなみにこちらが男性用の脱衣所。女性に比べるとシンプルです。

天井の漆喰の波形の溝が細かくて素晴らしいです。

商店です。ワイン用の壷がたくさん置いてあります。

ここも炭化した扉が残っています。

エルコラーノの街はギリシア人都市としてうまれています。其の為エルコラーノにおけるギリシャ式の建築方法はポンペイよりも厳格なものであったことが分かっています。
道路は南北に走る道路と東西に走る道路と直角に交差しています。
凄く単純ですが、京都みたいだと思いました。

さて話がまだ長くなりそうなのでここで休憩。
次回続きを書きます!


人気ブログランキングへ←人気ブログランキング参加中です。応援お願いします。

2011/08/02

着物ドレス

海外生活へ向けての準備の中で今一番ホットなもの。
着物ドレスを作る事。

来年頭に行われるイベントに着ようと思い立ち、着物でドレスを作り始めました。
着物を海外で着ると凄く喜ばれるのだけれども、私的にはありきたりがいやなのであえて着物をドレスにする事にしました。

デザイナーは私、パターンと縫製は私の母。

最初は自分で作ろうかとも考えたけれども、着物を洋服にリメイクする事を趣味としている母が作ってくれると言ってくれたので頼む事にしました。

そしてどの着物で作るかも決めました。
私が成人式の時に着た振り袖。思い出の振り袖。


色も柄も派手なのでドレスにした時に映えるかな。


前身右袖。


前身左袖。


前身裾部分。クジャクがいます。


後ろ身頃。


後ろ右袖。


後ろ左袖。


後ろ裾部分。


クジャクがたくさんいるんですがこれは金の刺繍入り。


着物の地模様。

さてこのように詳しく写真をのせましたがここからどの部分がどの部分に変化するのかお楽しみです。

綺麗なドレスができるといいな!

2011/07/28

ご報告

久々のブログですが、今日は皆様にご報告があります。

私事ですが来年から海外の地で新たな人生のスタートをきる事になりました。
色々と準備もあり忙しくなる為、今まで運営してきたBezzeccaサイトを8/20をもって閉鎖致します。
今までBezzeccaサイトをご覧頂いた方に心から感謝申し上げます。
8/20までは最終セールも行っていますのでぜひご覧下さい。→Bezzeccaサイト

海外の生活が落ち着きましたら、また新しい形での展開を考えております。
その折は是非またサイトを覗いて下さいね。

なおサイト閉鎖後もブログは継続致します。
今までよりも充実した内容で楽しくブログを書いていきますので宜しくお願い致します。

Izumi Hayashi