2011/09/21

Venezia Biennale Arte 2011

念願だったビエンナーレに行ってきました。

ヴェネツィアはこれで2回目、ビエンナーレは初めてでした。
いつもの事ながら何も用意せずいくので (用意してもその通りには進まないのがイタリア。)朝から乗ろうと思ってた電車が満席でのれず、そして自分の予測していた時間につけず。
ヴェネツィアについたら予想以上の人。(9月中だから少しはすいてるかと思ったのが間違い。)
何もわからないからインフォメーションで聞こうと思ったら長蛇の列。
やっと聞けたと思ったらビエンナーレの会場で聞いてくれ、と言われ。
その場所まで分からないので地図を下さい、と言ったら、2€だと言われ。
そんなものに2€だせるかって、思って買わなかったのが地獄のはじまりで。


とりあえずジャルディーニという場所まで行く事だけは知っていたので道もわからないまま歩きだしました。最初は少し写真をとる余裕があり。ぶらぶらと。



やっぱりきれいだわ〜と思いつつ全然道がわからないのでiPhoneのGPS起動!
それからはGPSをみるのに夢中でまったく景色を見ていません。

この混みよう。前に進むのも一苦労。


やっと知ってる場所に辿り着きました。サン・マルコ寺院前は相変わらずの凄い人です。

ここからは海沿いを歩いて行きました。

途中にあるビエンナーレの看板を写真にとり、それを確認しながらひたすら歩く。 (この地図全然詳しく書いてなかったんですけどね。)

歩いて行くと途中から観光客の姿は消え、家々も庶民的になってきました。
以前ヴェネツィアに行ったときはサン・マルコ寺院から先には行かなかったのでこんな場所がある事は知りませんでした。

凄く静かです。

ナポリのようなこんな光景に出会えると思いませんでした。

あんな所にも洗濯物が。

色とりどりできれいです〜かなり庶民的ですね。

船の上で商店がひらかれてました。

やっとの思いでチケット売り場に到着して、一つの会場に入る事ができました。
(自分ではここが行きたかったジャルディーニ会場だと思いこんでいました。)


がっつりと塀で囲われてて中が見えません。

入ったらイタリアのパビリオンでした。






この場所は大きく、そして展示品も多かったので結構時間を費やしてしまいました。

あ、くじらがうちあげられてる。

あとからビエンナーレ内の地図を見たらここはジャルディーニじゃなかったことに気づき。また移動。

歩く事15分ほど。ジャルディーニに到着。ジャルディーニまでの道でこんなきれいな通り。
この通りは両脇が民家なんですけど本当にきれいです。
こんな落ち着いた公園におしゃれな家々。
ヴェネツィアというと観光客だらけで騒々しいイメージしかありませんでしたが、ここは違いました。時間があればここでベンチに座りのんびりと過ごしてみたかったです。

と、ジャルディーニ会場の写真はまた次回。
あまりにも多すぎて載せきれません。。。。。

珍道中は次回に続きます。

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2011/09/19

Ercolano (エルコラーノ) 遺跡 2

前回に引き続きエルコラーノ話。

casa del salone nero 黒いサロンの家。中庭が豪華です。


部屋が沢山ある大きな家だったみたいです。

それぞれの部屋には壁画があります。建物の絵が描かれていますが、この頃にはもう遠近法が使われていたんですね。

この家がなぜ『黒いサロンの家』と呼ばれるようになったのかは、この壁の装飾にあります。
サロンの中が黒い色で装飾されています。黒い部屋ってシックな感じですね。

ここからまた違うエリアです。
ブロンズ製の噴水。エルコラーノではブロンズ製のオブジェがたくさん発見されています。ブロンズは石像に比べたら壊れづらいでしょうから、このようにそのまま残ってるんでしょうね。
この区域は全体が競技場だったらしく、このブロンズの噴水があるこの場所は勝利者を表彰したり、競技者達が食事をしたり、また神に祈りを捧げる場所でもあったそうです。

casa di Nettuno e Anfitrite ネプチューンとアンピトリティスの家。
家の中の噴水跡。
顔の彫刻とか小細工がきいてますね。

狩りの様子が描かれています。

そしてその横にあるのがこれ。
家の名前の由来となった、ネプチューンとアンピトリティスの2人の神の、練りガラスのモザイク。
絵とは違い色が薄れる事はないので、未だに綺麗な色をしています。しかもとても細かいです。

そしてこの建物。皇帝に関する行事や祭典が行われていました。


中央にある場所の両壁に描かれている第四様式のフレスコ画。
第四様式のフレスコ画というのはポンペイで大地震が起きた62年以後の様式でヴェスビオ火山が噴火した79年まで続きます。第三様式よりも装飾性が強まり、建築要素が多く描かれています。繊細で濃い色が特徴的です。

casa del Bel Cortile ベル・コルティーレの家。
二階に続く階段もあります。

入り口を入ったらすぐ部屋。

部屋をエントランスに使ってたらしいです。それが、この時代ではめずらしい設計だったとのこと。

そしてここで発見された人骨。
ポンペイの場合は石膏復元した遺体の人型がありましたがここでは人骨でした。
エルコラーノは一気に高温の溶岩に飲み込まれたので一瞬で人は溶け、骨のみが残ったという事です。

casa dei cervi 鹿の家。
エルコラーノの街の中でおそらく一番立派な豪邸だと思われます。
海に面していて眺めもよし (現在は海は見えません。) さすが貴族の家です。
この写真に写っている猟犬に追われる鹿の彫像が発掘された事で、この家は鹿の家と言われるようになりました。

さきほどの写真の反対側。テラスです。ここから海が見えた訳ですね。

家の中も広すぎて迷います。
貴族の家だけあって内装は豪華です。

こちらの豪邸にも黒い部屋がありました。

床のモザイクもおしゃれ。

さきほどの豪邸をでて海に続く道を下って行きます。

先ほどの豪邸の一段したといえば良いでしょうか。海に向かって段々畑のような感じで作られています。
ここには立派な像がたっています。
ここからも絶景だったはず。今は地層しかみえません。

下から先ほどの豪邸が見えます。

この銅像は体半分しか見つからなかったみたいですね。

先ほどの銅像が小さくみえますがこれが海だった場所。
洞窟のような空間がたくさん見えますがこれは港の倉庫や、船の収容所として使われていました。
ここでは300体に及ぶ人骨が発見されており、噴火当時がどんな様子だったのかを表しています。
当時、噴火から逃げようとした人々は海岸にたどり着き、この建物の屋内に避難しようとしましたが、結局は溶岩や火山灰の下敷きになりました。
この噴火によってヴェスビオ火山一帯の海岸は沈下して古代ローマ時代の海岸線は現在よりも4m下にあったわけです。

このヴェスビオ火山周辺のエリアは昔は所謂、高級住宅街だったわけです。
温暖な気候、肥沃な土地、素晴らしい風景を持っている事から『locus amoenus』美しい土地として知られていたそうです。

今もヴェスビオ火山の周りにはたくさんの人が住んでいます。
こんなにも良い環境であれば暮らしたくなるのも当然の事ですよね。
ですが、ヴェスビオ火山は活火山で定期的に噴火を繰り返している為、火山の観測は常に続けられ次の噴火の予測もたてられています。日本の地震予測みたいなものですね。

そんな危険を知りながら今もこの周辺にはどんどん住民が増えています。
イタリア人に、なぜ危険と知りながら住むのか聞いてみました。
いつ来るかわからない噴火の事を考えるよりも、環境のいい土地で美味しい物を食べ、おいしいワインを飲み、毎日楽しく暮らす事を考えた方が良いだろ、との事。
イタリア人の生き方そのものですよね。

そんな生き方をうらやましく思いながら帰途につきました。

ちなみに、その夜の晩ご飯は海の物尽くしでした。
めっちゃ沢山のムール貝とあさり!

もちろんスパゲッティ!

大きい魚とエビ!

食べきれないほどいただきました。
やっぱり南イタリアに来ると魚料理はおいしいな〜と。

そして恒例の花火で夜はふけていくのでした。(この辺の地域は夏はほぼ毎日のように花火があがってる。。。。なんで。。。?)

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